体罰問題について考えてみる。体罰とはいけないものなのか?

公開日: : 最終更新日:2016/12/14 社会問題

      

体罰はいけない事なのか?

体罰がいけない事なのか、こんな議論がいたるところで繰り広げられています。
正直答えは決まってますよ。

 

「ダメでしょ」

 

これだとやれゆとりだ、やれ過保護だと言わそうなので、もう一言。

 

「法律で禁止されているからやってはいけません」

 

ぐうの音も出ないよね。
だってこれが100%正しい答えですから。

正常な感覚の持ち主なら、理屈じゃなく感覚で体罰がいけないことはわかると思います。

ですが、体罰肯定派の人たちもそのことを分かった上であえて肯定してるんだと思うんですよね。

というわけで、体罰問題に対して色々考えてみたいと思います。

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体罰を正当化するとこんな感じかな?

反省というのは口だけではなく行動で示すものであり、口先だけなら誰だって反省はできます。
そこに行動が伴って始めて反省として評価されるもの。

自分が自分に与える評価なんて鼻くそみたいなもんで、本来評価のあるべき姿とは他人が当事者に与えるものであって自分で自分に与えるものではない
そうでなきゃ「人に優しく、自分に厳しく」みたいな自己啓発格言みたいなのは生まれないでしょう?

つまり、自分なりに反省していると思っていても、それが相手に伝わらなければただの自己満足。

もちろん、いきなり手をあげることはしませんが、1度目に反省を促して行動が伴わなければ、2度目は行動に出るしかないのではないでしょう。

「目には目を、反省には反省を」

こんな感じですかね?

ヘドが出る

僕らの時も体罰はあった

ゆとり世代は打たれ弱いって言われていますが、その原因として体罰に対しての目が厳しくなった事を理由としてあげるのであれば、それは大きな間違い。

ゆとり世代ど真ん中の僕ですが、体罰は確実に存在しました。
もちろん僕自身が受けた記憶もあります。

ひどい時はバットで殴られそうになりましたし、平手打ちや蹴りなんかは当たり前。
もはや体罰を超えて殺人未遂レベル。

当時はかなり理不尽に体罰を受けていた感じだったんで、ぶっ○したい感情しかなかったですねーw

まぁそんなこんなでゆとり世代でも体罰を受けてた人はいるんで、世代が如何の斯うので打たれ弱いとかいうくだらない議論はやめましょうね。

愛情なんか感じないよ?

愛情があるから殴るとか意味のわからない持論をぶつけてくる人がいますが、お前正気か?

いや、親ならわかる。親ならわかるんだが、なんで赤の他人に殴られなきゃいけないんだ?
しかも殴る必要のない場面で。

人のものを意図的に壊す、盗む、殺める、これなら納得いきますよ。
こんなことしたら社会的制裁を受けるのは当然だし、殴られても何も言えないですよ。

でも、それ以外で殴る必要があるんか?

同じ問題を2回間違えただけなのに、殴られる必要があるのかい?
だったら、自分が100万円出して買った大事な大事な時計が、たった2回動かなくなっただけで怒り狂って壊すのか?

愛情込めて大事にしてるものであれば、そんなことは絶対にしないでしょ。
ちゃんとお金出して修理しに行くでしょ。
それはなんでかって?

大事なものを雑に扱えないから。

じゃあなんで人は殴るの?愛情がないからでしょ?
ちゃんちゃらおかしいぜ。

俺らはこうやって育ったんだという無意味な理由

たまにいるんですが、「俺らの時代は〜って躾けられたんだ!」「こうしないと覚えないだろう!」という無意味な理論を持ち出す人がいます。

さっぱり意味がわからん。

自分がやられた事の腹いせを弱者に対してしているだけじゃん。

だから悪しき文化が無くならないんだよ。
いい加減気がつけって。

体罰は抑止力?

今まで話してきたのは僕が体罰を受けていた側の人間だった時のストレートな感情です。
いやー嫌な思い出ですよ。なんであそこまで理不尽がまかり通っていたんだろうか?

思い出すだけでぶち○ろしたくなりますもん。

ですが、言っても聞かないなら体でわからせるしかないといった意見も少しわかる気がするんですよね。
もちろん第一の選択肢として、殴ることは絶対にダメだと思います。
動物のしつけでもそこまではしないでしょうし。

ただ、体罰ってある意味の抑止力的な意味合いを持ってると思うんですよ。

それこそ将来何らかの命に関わる事件や、それに近い犯罪を犯しそうな人を察知できたのであれば、それを止める手立てとして有効なんじゃないかなーって。ある意味ではしつけと同じですね。

もちろん体罰を擁護することは絶対にありえません。ですが、やむを得ない状況もあるのでは?といった理解を示しているって感じです。

体罰と暴力は違う

100歩譲ってやむを得ない場面での体罰は許したとします。
ですが、それが暴力になってしまってはいけない。

そもそも定義が曖昧な部分はありますが、自分の理不尽な感情により相手に一方的に手を上げてしまった場合は暴力といえるるのでは?
これでは自分がイライラして相手に手を挙げる事と同意議なので憎しみや憎悪しか生まないでしょうね。

一方体罰は罰を体でわからせるといった教育的側面を持っていると思います。
正当な理由があり、修正する必要があると感じるのであれば場合によっては必要なこともあるのかもしれない。(多分

信頼関係に基づく体罰は体罰ではないという考え方

実に無意味な考え方だと思います。

信頼関係があれば何をやっても許されるのでしょうか?
信用している人に物を盗まれても平気な顔をしているって事ですか?
アホですか?

僕自身は、信頼関係が築けていれば体罰問題にはならなかったと言う議論は不毛だと考えています。

別に体罰に信頼関係はどうでもいいことでしょう。
手を上げたって事実は変わる事はないんだから。

体罰は結果であって、なぜそこに至ったかのプロセスが重視されるべきだと思いますね。

やっぱり体罰はいけないよ

古い道徳観を持ち込まれても困りますって話ですよ。

体罰って結果的に暴力になってしまいますし、暴力って本当何も生まない。
爪が伸びることくらい無意味なことだと思ってます。

体を痛みつける事で相手に自分の言う事を聞かせようとする行為が美化されている理由がさっぱりわかりません。

今も昔も殴られて気持ちがいい人なんていないと思います。
それを、昔は黙って耐えたもんだーとか、だから打たれ弱いんだー、などどと、過去を美化する考えはやめましょうよ。

黙って耐えなきゃいけない環境だったのが、耐えなくてもいい環境に変わって人間としてのあるべき姿を取り戻したんじゃないんでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございました!
お役に立てれば光栄です。

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