意識高い系ではなく能力低い系に再定義してみては?
公開日:
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最終更新日:2016/12/13
どうでもいいこと。

世の中の意識高い系寄りの記事を書いてみる
いつからかネット上では”意識高い系”という、いわゆるビックマウスの人を揶揄する言葉が当たり前のように使われるようになりました。
ただ、
意識高い系と意識高い人の差ってものすごく曖昧な感じがします。
実際正確に説明できる人ってほとんどいないんじゃないかなって。
そんなネットスラングの定義をここで明確にしていきたいと思います。
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私も意識高い系?
意識高い系の詳細は別のサイトに譲るとして、その中かから幾つかを抜粋して論じてみたいと思います。
まず、ビジネス書や自己啓発書を読んでる人は意識高い系に分類されるって記載が実に多いですね。
そしてそれをアピールしている人がその典型だと。
私自身、様々な本を読みますが、その中にはもちろんビジネス書や自己啓発書も含まれています。
そして当然ながら電車内で読むことも往々にしてあります。
その姿を見て第三者が「あいつ意識高い系だわww」と勝手に思い込んでいる節があるのではなかろうか?
これではあまりに不本意でござる。
そして、普段意識高い系をバカにしてる側の人たちも他人事じゃないですよ?
これは、自分の意図しないところで勝手に”意識高い系”と揶揄されている可能性があるということになりますからね。
ものは見方により様々な表情を見せますからね。
自分がその立場である可能性をお忘れなきよう。
意識高い人はすごい人?
個人的にこれは意味が上手く理解出来ません。
どっかの個人ブログ?キュレーションサイト?かなんかに、こんな文章がありました。
まず大前提として世の中には確かに「意識高い人」がいるとしましょう。こうした人たちは実際に世の中を変えたり、人脈が広かったり、朝ランニングしてたり、グローバル思考だったりします。「意識高い人」は間違いなく「すごい人」です。
そして意識高い系がいます。この人たちはあたかも実際に世の中を変えたり、人脈が広かったり、朝のランニングをしていたり、グローバル思考だったりであるかのように見えますが実態が伴っていません。
うん。
言いたいことはわかる。
だけどこれってただの結果論じゃね?
そもそも「意識」ってのは自分自身の問題で、「すごい人」ってのは他人の評価でしょ?
ですが、この意見を始めとする多くの意見を解釈しようとすると、どうもその辺りが曖昧になっている感が否めません。
結果を出した人がすごい人なだけであって、その人が意識が高いとは限りませんよね?
(もちろん確率で言えば意識が高い人の方が結果は出るでしょうけど)
逆に言えば、意識高い人でも結果が出なければ意識高い系に分類されるの?って話にもなるわけですが、チャレンジしたという実態が伴っている以上は意識高い系とは言えないですよね。
うーん。
考えれば考えるほど、意識高い人=すごい人って解釈はどうも腑に落ちませんねー。
それに、実態が伴っていないのであれば”意識高い系”ではなく、ただの嘘つきと言ったほうがいいのでは?
すごい人=意識高い人が成立しなかった実例
と、ここまでは私が勝手にした解釈ですが、ここから先はもう少し大衆心理に寄って考えてみたいと思います。
実は世の中の大半の人が”意識高い系”だと考えるであろう人物が一人だけいます。
それはシールズの奥田さん。
ネット上で定義されている、団体に所属し、自分に酔っている感じはいかにも意識高い系です。
これに異論を唱える人は少ないと思います。
それでも彼は多くの人間を動かし、国会で演説も行いました。
言ってることが正しいとか、正しくないとかは関係なく、この行動力と度胸にはただただ感服です。
間違いなく彼の行動は”すごい”ですよね。
ですが、奥田さんは僕がこれから定義する、「意識高い族/能力低い系」だったのでしょう。
結果として国は動かせなかったわけですし、奥田さんの団体は国民にとってマイノリティーとなってしまったわけですからね。
いわゆる”声無き多数派”もいたかもしれませんが、それは能力が低かったからこそ顕在化させることが出来なかったとも言えます。
仮に、声無き多数派(サイレントマジョリティー)に行動を起こさせ、取り込むことができていたとしたら、”意識高い系”ではなく”意識高い人”と呼ばれていたでしょうね。
そしてこれらは、どれもこれも結果論に過ぎません。
このことからも、意識高い人=すごい人という理論は成立しなさそうですね。
咀嚼してやるぜ。
というわけで、明らかになってきた問題点を勝手に解釈してやろうと思います。
ネット上に散財する情報の中では、SNSでやたらアピールするとか、友達の数を自慢するって感じの人が意識高い系に分類されると書いてありますね。
ですが、ここでは少し視点を変えて考えてみることにします。
まず、SNSで自ら活動をアピールする事はグローバル思考と言っていいのではないでしょうか?
だって、誰にでも気軽に見られるのがSNSのいいところでしょ?
その気になれば世界中に情報を発信することだって出来ちゃいますからね。
これは十分グローバルでしょう。
そんな媒体に実名、顔出しで躊躇いもなく情報発信してるくらいですから、よほどの自信と行動力を兼ね備えていることがわかります。
このことから、意識高い系を馬鹿にする際に言われている”実態”の有無に関しては論点が正確ではないことがハッキリしました。
意識高い系がなぜそこまで馬鹿にされるのか?
これはもう答えが出てますね。
まずは意識高い系と呼ばれる人たちの再定義をしてみます。
前述したように、意識高い系は実態がないわけではないんですよ。
ただ単に能力が低いんです。
その能力の低さを自覚しようとせず、身の丈に合わない言動をしようとするから叩かれるのではなかろうか?
出来る人の皮を被った出来ない人=高い系ってことですよね。
でもこれって能力低い系じゃん!
難解な言葉を使って意味不明な説明をしてみたり。
論点ズレまくってみたり。
最終的にはケツを拭いてもらわないといけなくなったりして・・。
いわゆるめんどくさいやつってことでしょ。
人生においてすべてが鈍感なんでしょうね。きっと。
SNSのアピールも半端ない、人脈作りも半端ない、将来は起業でしょが口癖。
だけど全部中途半端。
うん。完全に意識の高い族/能力低い系だね。
逆に、SNSのアピール半端ない、人脈半端ない、起業が口癖。
そして、どれも素晴らしい実績を収めてる。
これは完全に意識高い族/能力高い系ですね。
日本は多数派が民意
結局のところ意識高い族/能力低い系が淘汰されるのは少数派だから。
いつまでたっても人間界は多数派が民意なんですよね。
そもそも目立つ文化を恥じる日本では、目立った時点で少数派です。
長いものに巻かれ、出る杭は打たれ続けてきた日本では、ある意味で当たり前のことなのかもしれません。
これってどこかAB型の話と通じるところがあるように感じるんですよねー。
他の血液型と違ってAB型は圧倒的に少数派ですよね。
そしてAB型は常に「変人」という烙印を押されます。
じゃあ仮にA型が少数派だったらどうなるんだろうって考えてみてください。
おそらくA型が変人の烙印を押されますよね?
なぜって少数派だから。
みんなとは違うからです。
意識高い系の人がうっとおしく感じるメカニズムと被る気がするのは僕だけですかね?
結局のところ意識高い系ってなんなの?
というわけで、結局のところ意識高い系ってなんなのって話に戻るんですが、僕は「言葉として成立してないから分からない」と結論づけました。
強いて言うのであれば、目立ちたがり屋で能力低い人の事を、行動力のない大多数がバカにする言葉って感じですかね。
とか言いつつ。別の記事で意識高い系って言葉使ってるんですけどねw
例えばホリエモンが自己啓発書を読んでても意識高い系とはならないですよね?
だけど、それを聞いたリスナーが一斉に同じ本を読み出したら、それは間違いなく”意識高い系”になりますよね。
その違いって実績が伴っているかいないかだけですよね?
ホリエモンという意識高い人に多くの高い系の人が憧れをいただき、それを真似する。
しかし、そこには結果が伴わないため実績が残せない。
なぜかって、能力が違うからですよ。
これを高い系に分類するのは、あまりにも短絡的や過ぎませんか?
まとめ
実はもう少しだけ書きたいことがあったんですが、めんどくさいんでやめました。
結果的に救いを与えるとか言っておきながら、どちら寄りでもない感じの文章になりました。
私が言いたかったのは、意識高い系を自覚してさっさと努力したら?ってのと、意識高い系をバカにしてないで、自分も少しは行動したら?ってのをいいたかったんですわ。
もちろん自分への戒めも含めてですけどね。
結果が伴うように努力しよー。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
お役に立てれば光栄です。
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比喩表現使いこなしてますか? どこかの記事でも書いたんですが、比喩表現のうまい人は絶対得ですよ。
Comment
書かれていることに納得しました。
経験から意識が低く、ありのままを大きい世の中の流れに沿って受け入れることで成功率が高まると思います。
世の中の流れを変える能力がないのに抗うから意識高い系をバカだと思っています。
あと、師匠(笑)の真似をするから駄目だし言うこと聞くなんてもってのほか。
本人が自分の得手不得手を把握して、特徴をデフォルメして、尖らせることが成功の元だと思います。
成功者の駒に成り下がっている意識高い系が自立できるようになって欲しいです。
ちなみに僕は意識が低いので、ダラダラ飽きない程度にやることやって結果に拘る人達をマイペースで増やしています。
コメントありがとうございます。
返信遅くなってすいません。
成功者の駒に成り下がるとはまた過激な表現を笑
ただ、仰ることは良くわかります。
以前どこかの記事で書いたのですが、有名な経営者の経営哲学に陶酔してしまう人はやばいなーと感じています。
なぜなら他人の哲学は土台ではなく、一つの武器とすべきだと思うからです。
結局人の真似事をしたって自分の能力に対して方法が相応でなければ結果は出ない、または出たとしても長続きしないですもんね。
なので、たくさんの情報をインプットしていく中で、その情報の中から自分の能力相応の情報を選択していくことが重要だと感じます。
その能力が欠けている人が“意識高い系”と揶揄されているのかもしれません。