真珠湾攻撃の真実。パールハーバーはなぜ行われたのか?
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最終更新日:2016/12/14
社会問題

真珠湾攻撃についてどこまで知っていますか?
真珠湾攻撃についてはご存知の方も多いかと思いますが、どういった経緯で攻撃に至ったかまでは意外と知られていないのではないでしょうか?
真珠湾攻撃という言葉だけが一人歩きしてしまっている印象があるので、ここいらで当時起こっていたことを振り返ってみたいと思います。
あまり知られていない事があるので出来るだけ正確にお伝え出来るように気をつけていきますが、万が一訂正箇所があれば随時訂正するので連絡をお願いします。
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真珠湾攻撃とは
知っている方も多いと思いますので超簡単に振り返ってみたいと思います。
真珠湾攻撃とは1941年12月8日にハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋戦艦を日本が宣戦布告せず(間に合わず) 攻撃し、太平洋戦争開戦のきっかけとなった有名な出来事です。
日本の教育では深くは教えてくれない
学校では真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本だから太平洋戦争は日本が悪い!と、こんな感じで教えられませんでしたか?
正直、今更どっちが正義だの悪だのと追求する気は毛ほどもありませんし、日本が先制攻撃を仕掛けたのは事実です。それに日本国として戦争に敗れた歴史はどうあがいても変わるものではないですからね。
ただ、日本の教育では深く教えてくれないのも事実。
実際僕の時代の教科書には今から話す内容は載っていなかったと記憶しています。
とてもシビアな問題ですので、これを機に深く考える機会になればと思います。
日独伊三国軍事同盟
あまりにも有名すぎる軍事同盟です。
日本、ドイツ、イタリアがどのように軍同盟を組む流れになったのかを解説していきます。
ちなみに1940年9月27日の出来事です。
ファシズム、ナチズム
この言葉理解が難しいかもしれませんが、僕なりに簡単に説明したいと思います。
ファシズムとは政治形態のひとつで、この当時のイタリアやドイツがとっていた政治方針であったとでも言っておきましょう。そして、この政治形態の根底には国家の経済活動の活性化があります。
かなり極端なイメージですが、僕自身はファシズムのことを「金融資本の独裁」と解釈しています。
つまり、政府が主体となって軍事力に積極的に投資をして仕事と雇用を生み出すわけです。
平等な機会を与えようとする社会主義の思想です。(僕はそのように解釈しています。
いわゆる統制経済ってやつです。
これでとりあえず雇用は守られるため、内需はオーケーです。
ですが、内需だけでは国際競争に勝つことは難しかったんです。
そのため国として飛躍的な成長を遂げるため国際社会へと活路を求めます。
これが軍事力による海外進出のきっかけです。
つまり侵略戦争ですね。
当時ヒトラー率いるドイツ軍は、独裁政治にもの言わせた軍事力を武器に圧倒的な支配力を持っていました。
その支配力は凄まじく、イギリスを除くヨーロッパの全土をほぼ手中に収めるというとんでもないものでした。
日中戦争真っ只中
一方このころの日本は日中戦争真っ只中です。
この当時の日本は満州事変の件もあり国際的に孤立していました。
(満州事変に関して知りたい人はググってみてね。)
まるで味方がいない日本軍。
こりゃ困った。
そんな時に手を差し伸べたのがヒトラーさん。
「俺(ドイツ)が君の(日本軍)の味方になってあげようか?そしたらアメリカも牽制できるべ?」
前述したようにドイツはイギリス以外ほぼ手中に収めている状態。逆を言えばイギリスはなかなか落ちない強敵だったわけです。そこでイギリス領に近い日本に目をつけるわけですね。
仲間の欲しい日本軍とイギリス軍の軍事力を散らしたいドイツ軍との間でwin-winの関係が生まれたってことです。
そこで日本との間に後の三国軍事同盟である防共協定を結ぶわけです。(1936年11月25日の出来事)
日独伊三国軍事同盟完成!
翌年にはドイツ軍の金魚の糞だったイタリア軍が防共協定に署名し、「日独伊防共協定」となります。
そして来る1940年の9月27日に今まで曖昧だった協定が具体化されより強固な事同盟として調印されるわけです。
これが日独伊三国軍事同盟です。
のちに枢軸国として第二次世界大戦を引っ張っていく同盟ですね。
タイミング悪すぎ。
しかしこの同盟、組んだ国とタイミングがすこぶる悪かったんです。
当時イギリスとアメリカは友好国関係を築いており、この同盟を結んだ日本に対して友好国であるアメリカが
「友達であるイギリスに危害を加える気か?」と、警戒感を示します。
日本にしてみたら誤算ですよね。
だってアメリカを牽制するつもりが逆に牽制されているわけですから。
ちょっぴり怒ったアメリカがとった処置は経済的制裁。
具体的には石油の輸出の制限です。
日本には資源が無いのでこれは大ピンチです。ましてや日中戦争の真っ只中ですから、日本軍は焦ります。
ハルノートの強要
アメリカに経済制裁を受けてしまった日本軍。
日中戦争中なので石油の輸入量が落ちてしまうのは大大大ピンチです。
アメリカ軍を撹乱させようと・・
自国内での資源調達が出来ないの日本政府の要人は、どうにか石油の輸出を再開してもらえないかとワシントンに交渉に向かいます。
実はこのワシントン交渉には二つの意味がありました。
一つは本当に経済制裁を緩和してもらうための交渉。
もう一つは相手の気をそらすためのダミーです。
この時、交渉と時期を同じくして輸出再開の目途が立つまでの繋ぎとしての資源を求め、日本軍はサイゴン(南ベトナムの首都)へと向かっています。
実はこのサイゴンという場所、アメリカ領のフィリピン、イギリス領のシンガポール、オランダ領のインドネシア を見渡せる場所なんです。
つまり敵国の支配している地域を攻撃できる場所に日本軍が資源を求め参入してきたというわけです。
この事に気が付いたアメリカ政府はさらに厳しい経済制裁として、石油の全面輸出禁止・アメリカ本土の日本人の資産凍結を実行します。
当たり前と言えば当たり前の制裁ですが、あまりに大きすぎた代償。何とかしたい日本軍、さっさと戦争から手を引いてほしいアメリカ軍。
両者ははいがみ合ったまま交渉は全く進展がなくなってしまいます。
たった一つの解決方法として提案されたものとは?
そこでアメリカ国務長官のコーデル・ハルと言う人物が、日本の要人に対して妥協案としてある条件を提示します。
この条件内容、今までの交渉を完全無視し、日本軍所有の領地の無条件返還や軍事同盟の無条件解散など当時の日本軍には到底飲むことの出来ない条件でした。この妥協案のことをコーデル・ハルの名前から「ハルノート」と呼んでいます。
いうまでもないですが日本の答えは当然ながら「NO」です。
1941年11月26日の出来事です。
実はこの妥協案、当時の大統領ルーズベルトとハルが作ったものなのですが、日本が調印を拒否することを想定して作っています。
それは何故か?
その理由こそがパールハーバーの真実なのです。
アメリカの策略とパールハーバーの真実
1940年代の日本政府(軍)は自国を中心に中国・満州国・東南アジアなどを経済拠点として支配しよう策略していました。
しかし、自分たちが一番でありたいアメリカがこの政策に猛反発します。
経済制裁を加えた本当の理由
実はアメリカが経済制裁を加えた背景にはこのアジア圏経済拠点の政策も大きく影響していました。
簡単に言ってしまうと、「最近調子に乗っている日本に釘を刺しておくか」と言う事です。
日本の軍事力の低下を狙ってアジア圏全域を支配下に収めようとしていたんですね。
その方法として理不尽な提案や経済制裁を加えるわけです。
つまり、同盟を組む組まないに関わらず石油資源の制限などは掛けるつもりだったってことになります。
そして、実際に経済制裁を課せられた日本政府(軍)に出来る事は一つしかありません。
「アメリカを支配下に置くしかない」=「アメリカと戦争するしかない」 となってしまったわけです。
まぁそうなるわな。
ですが、日本とアメリカ軍の軍事力に大きな差があるのは誰がどう見たって明白。ただ、日本軍とてやる以上負け戦をするわけにはいきません。
そこで後のA級戦犯とされる東条英機がアメリカ軍の戦艦を奇襲する案を出します。
これが真珠湾攻撃となる訳です。
パールハーバの真実
さぁここまでが真珠湾攻撃の流れになるわけですが、恐ろしいのはここから。
前述した通り、アメリカ政府はハルノートを飲まないことを予め分かっていたわけですが、これはつまりどういうことなのか?
つまりそれは、日本が戦争を選択すると言う事をルーズベルトとハルは分かっていたということになります。
全てがアメリカ軍の計算通りというわけ。
日本が仕掛けた戦争ではなく、日本が仕掛けざるを得ない状況だった戦争ってことです。
“国際社会において日本を悪者に仕向け、世論がアメリカになびきやすい状況を作り出し日本を徹底的に潰しアジア圏を支配する”
アメリカはあくまでも被害者であり、加害者は日本である。
こうしてアメリカ軍はあたかも自分たちが被害者であり、日本軍がわけもわからずいきなり攻めてきたという風潮を作り上げたのです。
名実ともに日本をアメリカの支配下に置こうとしていたんですね。
このようにして真珠湾攻撃は行われ、全てがアメリカの思惑通りに進んだというわけです。
パールハーバーの裏側にあった真実とはこういった事だったのです。
まとめ
僕が知る真珠湾攻撃はここまでです。
一応自分の知っている範囲の情報とインターネット上にある情報の整合性を図りながら書いていったのですが、間違っている箇所や足りない箇所があったら教えてください。
ただ何が事実で何が嘘なのかよりも、日本人として、一人の人間として考えるべきことが他にもあると思ってます。
上層部の事情など何も知らない日本軍・アメリカ軍の兵士
戦争とは全く関係ない一般人
沢山の犠牲者が出た沖縄の人々
どれだけ多くの方がこの戦争で命を落としたのでしょう?
このように多くの犠牲を払ってしまったことは曲げようのない事実です。
一年に一度でもいいので、この問題に対して深く考える時間を作れればなーと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
お役に立てれば光栄です。
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